いののすけのブログ

いろいろ語りたい一人の人間のブログ

将棋語りその5(大山VS升田全局集)

 2016年に日本将棋連盟より刊行された『大山VS升田全局集』を読み終えたので、その感想をまとめようと思います。

 

 大山康晴十五世名人と升田幸三実力制第四代名人は主に昭和の中期に活躍した偉大な棋士で、本書にはこの二人が直接戦った対局が全174局収録されている。この二人の公式戦の記録は167局で大山十五世名人から見て96勝70敗1持将棋となっている。なぜ差があるかというと本書では千日手を1局でカウントしていたり、非公式戦が含まれていたりするからである。

 本書を読む前はこの二人の対戦というと、有名なエピソードを知っていて、その中の何局かを並べたことがある程度であった。例えば高野山の決戦での大頓死、「名人に香車を引いて勝つ」、升田先生の三冠独占、升田式石田流シリーズの名人戦といったものである。今回本書を読み、二人の対戦だけでなく昭和中期の将棋界の歴史も垣間見ることができた。

 戦型に関して言えば、矢倉と対抗形がメインだった。p.116の表から数字を拾うと、矢倉が68局、対抗形が59局で半数以上を占めている。角換わりや相掛かりといった他の相居飛車はあるものの、相振り飛車は1局もなかった。矢倉と対抗形は自分の好きな戦型であるので、並べていてとても楽しかった。また将棋の内容では升田先生が現在にも通じるようなスピードで手を組み立てていくのに対し、大山先生が強靭な受けでそれに対抗していくというものが多かった。升田先生の将棋の革新性については多く言及されているところであり、本書でも多く見られたが、それに負けない大山先生の受けも強く印象に残る。大山先生の受けの強さも広く言及されるところではあるが、この受けの強さは升田先生との勝負の中で培われていったのではないかというくらいに、升田先生の攻めを跳ね返す力がとんでもなかった。そんなふうに棋風の異なる二人の勝負は力がうまくぶつかり合っていてとてもおもしろく、熱戦を堪能できた。

 加えてこの二人の勝負でいえば升田先生が時代に翻弄されている点にも言及したい。まず初期には棋戦の制度が固定されておらず、その変更に苦しんでいた印象を受ける。例えば高野山の決戦として有名な第7期名人戦挑戦者決定三番勝負は前年まではA級1位が挑戦していたものが、規定の変更でA級1位、2位、3位とB級1位のプレーオフとなり生じたものである。そしてこの勝負は第3局で升田先生が大頓死を食らい、A級優勝にもかかわらず名人戦への挑戦権を逃している。また第2期王将戦被挑戦者決定三番勝負は、王将を持つ升田先生と名人を持つ大山先生が、王将戦七番勝負へのタイトル保持者の立場での出場をかけたという奇妙な勝負である。そしてこれに敗れた升田先生は七番勝負に出場することなく2敗で王将位を失冠している。こういった制度は主催社が升田先生を嫌ったため等のさまざまな推測がなされているが、とにかくこういった不条理ともいえる制度変更に翻弄されていたといえるだろう。

 さらに晩年になると升田先生が休場することが増え、また対局していても粘り切れずに、また持ち時間をさして使わずに土俵を割るような展開が目立った。これは体調の問題だが、さかのぼると升田先生は太平洋戦争で兵士として動員されており、その影響で体調が安定しなくなったと言われている。三冠を独占した頃の升田先生の将棋は手が付けられないほどの強さだったが、その後は体調の問題からか全部ではないものの粘り切れない将棋が増えていって、結果大山先生の全盛期を許している。歴史にたらればはないものの、もし升田先生が体調が万全であればもっとおもしろい将棋が生まれていたかもしれず、そこは悔やまれるところである。

 

 以上で感想を一区切りとしたい。いろいろ述べたがこの二人の中終盤の強さはやはりとんでもないものがあるので、矢倉や対抗形が好きな人にはぜひ並べてみることをおススメしたい。