いののすけのブログ

いろいろ語りたい一人の人間のブログ

観る将と指す将のバランス

 元日にそれなりに書くといって更新していなかったブログを久々に動かそうと思います。

 

 最近将棋に対する自分のスタンスをよく考える。自分は将棋を観るのも大好きだし、プレーヤーとして指すのも好きだ。今よく聞く言葉でいえば、観る将でもあり指す将でもあり、この2つは自分の中では自然と両立されている。だからこそ最近この2つの相関関係を言葉にしてみたいと思うようになり、ふとした時に考えていた。今回はそのあたりのことを書いていきたい。

 

 まず指す将のほうから。将棋は小5の時に始め、中学から高2までは週に1回道場に通っていた。大学では将棋部に入ったし、社会人になってからも24やウォーズを中心にたまに指している。大会には数多くはないが、何度も出場している。もちろんそれなりに勝ってはいるのだが、負けた記憶のほうが印象が強い。負けたときはとてつもなく悔しくなる。それでも将棋を指す理由としては、やはり考えることの楽しさと勝利した時の格別ともいえる喜びがあげられる。将棋には運の要素はない。もちろん先手と後手のどちらになるかは運次第であるが、勝利するかどうかはアマチュアだと特に実力によるものと考えている。自分自身強い人には手番など関係なく、全く歯が立たなかった。とにかく将棋には運は介在せず、自力で考えて手を組み立てていかなければならない。この考えるプロセスはとても楽しい。思考としては理論的に読んでいることもあれば、感覚的に判断していることもある。この手を読むときの感覚というのはなかなか味わえるものではなく、そこが将棋の醍醐味の一つといえる。そして勝利した時は相手のミスもあれど、手の積み重ねが結実したともいえるので、この時の喜びも何物にも代えがたい。こういったところが将棋を指す魅力であると考えている。

 次に観る将のほうである。棋譜を並べたり、NHK杯を観たりは将棋を始めたころからちょくちょくやっていたのだが、本格的に将棋を観るようになったのは、藤井聡太王位・棋聖が出てきたころからである。ちょうどその頃にAbemaTVが開局して、将棋の映像中継を観るようになり、本格的に観る将になっていった。今では動画中継はできる限り観ているし、中継アプリもチェックしているし、NHK杯銀河戦も観ている。棋譜並べも学生時代より量は減ったものの、相変わらず続けている。そうした将棋を観る魅力はというと、指し手への感動だったり、棋士人間性の魅力といったものがあげられる。棋譜並べをしているとよく感じるのだが、プロの将棋は本当にすごい。自分では思いもつかないような手がたくさん出てきて、解説を読んで発想に衝撃を受けることが多い。感動するのは形勢に差をつける妙手の場合もあれば、ぎりぎりで均衡を保つ一手だったりする。そういった手を観ていると本当に感動して、心が揺さぶられる。また棋士の先生方は魅力的な人がとても多いと感じる。それは指し手に現れていることもあるし、盤外でのこだわりや解説や文章での言葉遣いに現れていることもある。またはインタビュー等で人となりを知ったときに感じることもある。そういったところから出てくる個性に非常に惹かれるし、観る将の楽しみであるといえる。こういったところが将棋を観る魅力であると考える。

 そして指す将と観る将は独立したものでなく、相互に関連している。自分に関して言うと、例えば四間飛車を指し始めたときにちょうど出会った藤井猛九段の棋譜に感動し、さらに四間飛車をのめりこんで指すようになったし、矢倉を指そうと思ったのはプロの将棋に矢倉がとても多いからだった。また今三間飛車四間飛車の新しい形(ミレニアムや耀龍四間飛車)を指したいと考えているが、この辺は前者は佐藤和俊七段や山本博志四段、後者は都成竜馬六段や大橋貴洸六段の活躍を見てのものであると言える。こういった指す戦型の選択に観る将の要素は多大なる影響を与えている。また四間飛車が好きなことから四間飛車に注目して棋譜を並べたり中継をチェックするようになり、四間飛車をよく指す棋士を応援するようになった。以上は一例ではあるものの、2つの関連として戦型の面を1つ示した。

 ただこの関連に関しては些細ながら悩みもあり、それはプロのようには自分は指せないということである。プロの将棋を観たり並べたりして感動し、こんな風に指したいとはよく思うものだが、現実は自分がそんなに強くないため、打ちひしがれることがある。特に藤井システムを指して目も当てられないような負け方をした場合、普段の敗戦以上に辛くなる。もちろんアマチュアなのだからと割り切ることはできるものの、やはりそのギャップには何とも言えない気持ちになる。それでも自分にとって将棋はとても魅力的なゲームであるため、最終的には楽しむことのなるのだけれど。

 そう考えていくと、自分が棋譜並べが特に好きである理由が何となくわかってきた。棋譜並べはプロの将棋を観戦するという意味で観る将の要素があると思うのだが、実際に盤駒を用いて再現すると特に、指している感覚を疑似体験できる。こうすれば自分がプロであるような感覚を味わうことができるし、プロの妙技に感動することができる。この棋譜並べのようにプロのプレーを疑似体験するのはほかのスポーツでは困難なことだ。例えばサッカーでクリスティアーノ・ロナウドのプレーを追体験するのは難しいだろう。どれかのゴールを追体験しようにも、映像を観ることはできるものの、ゴールを放つ感覚を体で味わうことは難しい。その点将棋では再現は簡単であるし、しかも駒を動かして、体にその手の感覚を味わわせることができる。こういったことを考えると、棋譜並べは指す将と観る将の両方の要素を満たす行為であり、だからこそ大好きなのだと考えられる。

 

 とりあえず今回はここまでにしたい。指す将でもあり観る将でもある自分が将棋をどんな風に考えているかが少しでも伝われば幸いである。この自分の将棋に対するスタンスの探求はまだ始まったばかりであり、今後もまた何かの機会に書ければと思っている。