いののすけのブログ

いろいろ語りたい一人の人間のブログ

最果タヒさんの詩

 詩のホテルに泊まってきたので、その感想も含めて、最果タヒさんについて書いていこうと思います。

 

 まず最果タヒさんと出会ったのは、「さいはてれび」を観たことでした。これは最果タヒさんの詩をもとに、新進気鋭の映像作家が作品を作るという企画でした。観ようと思ったのは、好きなアーティストが出演したからなのですが、そこに出てくる言葉になぜか惹かれました。調べてみるとそれが詩だということを知り、詩集を買いました。それを読んでハマったという感じです。

 その後は本を全部買って、出版された順番に読んでいます。(まだ途中ですが)他には映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」を映画館に観に行きましたし、横浜美術館の展示も鑑賞しに行きましたし、先日詩のホテルにも泊まりました。詩はほとんど読まず、(読むのは最果タヒさんと文月悠光さんくらい)あまり詩に馴染みがある感じでもないのですが、今ではとても好きな詩人です。

 とにかく好きなことは間違いないのですが、なぜ好きかを説明するのはとても難しいです。というのも自分がそこまで詩を理解できているとは思わないからです。確かに詩を読んでいるといいなと思うことが多いのですが、そのいいなという気持ちは言葉の理解から生じているというわけではありません。もっと感覚的なもので、なんだかこの言葉の連なりはすごく心地よいなだとか、そういったイメージのほうが詩を読んでいるときに生じる感情としてはしっくりきます。

 ただそれでいいのではないか、と思っています。とういのも最果タヒさんが様々な媒体で繰り返し述べていることなのですが、人には一人ひとり言葉では表現しきれない感情を持っており、そういった一人ひとりに読まれることで詩となるのだ、といったものがあります。これに沿って考えると、自分が詩を読むことで生じる感情は言葉では表現できない感情であり、最果タヒさんの詩はそういったものに寄り添っているのだから、言葉にはできなくても何ら問題はないのです。この辺りはブログを書くことと矛盾しているような気もしますし、そもそも論理の展開もこれでいいのか不安はありますが、とにかくこの好きな気持ちは簡単に言葉にできないというのだけ、伝わればいいなと思います。

 さて最後に詩のホテルに泊まった感想をまとめてみたいと思います。この体験はとても印象に残るものでした。ホテルの部屋のつくりもすごくて、壁にはもちろん、窓やエアコン、電話といった家具から、洗面所という空間、さらにはマグカップやシャンプーボトルといった小物にまで詩がありました。とにかくどこを見ても詩が目に飛び込んでくるような構造になっており、まさしく詩に泊まるという体験でした。このように詩がずっとあるとさすがに鬱陶しく感じるのではないかという不安もあったのですが、そんなことはなく、むしろ詩の中に自分の身体や感情が溶け込んでいくような感覚になり、この感覚はとても心地のいいものでした。これは詩というものが理解を求めるような言葉ではなく、自然に生じるといいますか、感情を切り取っているといいますか、とにかくその言葉は不意に自分の中に入ってきても全く嫌悪感を抱くような存在ではなく、むしろ自然と心の中に溶け込んでいくような存在だからだと思います。そのような詩の言葉に囲まれて体を休め、風呂に入り、眠り、そうして過ぎていく時間は自分にとって甘美なものであり、チェックアウトが名残惜しく感じました。宿泊して本当に良かった。大満足の経験でした。

 

 やはりうまく言葉にできないところも多いですが、今回はここまでにします。また詩については書きたいと思っているので、難しいながらも次はもう少しうまく言葉にできたらいいなと思います。