いののすけのブログ

いろいろ語りたい一人の人間のブログ

ファンタジーな作品から考える好きの本質

 久しぶりの更新になります。変なタイトルがついていますが、中身は「凪のあすから」と「フラグタイム」の感想です。

 先週「凪のあすから」の後半を見終え、また映画館に「フラグタイム」を見に行きました。この二つに共通するのはまずもって少し不思議な世界観・設定でしょう。

 「凪のあすから」はもともと人間は海に住んでいたという設定で、その海に暮らす主人公たちを中心とした人間模様を描く作品です。また「フラグタイム」は3分間だけ時間を止められる女子が、別の女子のスカートの中をのぞいたところ、その人は時間が止まっておらず、そこから始まる2人の関係を描いた作品です。

 ストーリーに関しても語りたいことはあるのですが、以下では2つの作品を見て廻った自分の思考や感情を記していこうと思います。

 人を好きになるとはどういうことでしょう。きっかけはいろいろあると思いますが、なぜ、どのように、どんなふうに人を好きになるのか。また好きということ自体定義はどんなものなのか。

 なぜかと言われると難しい。そんなの心が好きと言っているのだから仕方ないという部分もあるでしょう。それにきっかけだってふとした瞬間のものであることが多い。そもそも出会った瞬間=好きになる瞬間でもない。自分にも好きな人はいたことがあるが、なぜ好きだったかを聞かれると難しい。そもそも好きにも温度差がある。

 でもやはり好きになると心が惹かれてしまうのだ。ふとした瞬間にその人のことを考えていることも多い。もうどうしようもない。

 恋愛漫画が好きなので、いろいろ読むけれど、やはり一括りにはできない。でも一つわかるのは、好きになることは幸せなことだということ。どんな理由やきっかけであれ、そんな人に出会えたこと自体が奇跡のようでもある。というかそんな風な恋愛をしてみたい。現実はそんな奇跡の「好き」ばかりではないけれど、やはり奇跡なのだ。つまり好きとは奇跡的なことであり、幸せなことのように思う。

 なんだかうまくまとまらない。でもファンタジーな作品からこういったことを考えることは多い。やはり状況が独特で、純度の高い感情を抽出しやすいからなのだろうと思う。

 久しぶりでもあるのでここまでにしたい。やはりもっとうまく語れる人間になりたい。そして最後になるが、この2つの作品、私は大好きです。