いののすけのブログ

いろいろ語りたい一人の人間のブログ

職場の人との雑談に悩んでいたが、今は藤井聡太二冠に助けられている

 緊急事態宣言が出ているが、私の勤務先はテレワークを導入することもなく出社している。正直テレワークを導入してもさほど困らないとは思うのだが、これ以上話すと本旨からそれた愚痴になってしまいそうなので、ここらでとどめておく。とにかく職場の人と会うと、いろいろと話す機会がある。基本自分が仕事のこと以外には言及しないようにしているので回避しているものの、それでも多少は雑談が発生する。これが実に悩ましかった。いや雑談といっても、相手が話しているのを聞いている分にはまだいい。興味のわかない話題のときもあるけれど、相槌を打っていれば何とかなる。それよりも問題は自分のことを聞かれたときだ。

 

 例えば「休みの日に何をしているのか」と聞かれる。ここで「アニメを観たり、マンガを読んでいる」と答えたとする。するとおそらく相手は自分のことをオタクだと思うはずである。正直に言うと、職場の人に自分がオタクだと知られた状態で、それでも仕事を円滑に進められるとは思えない。確かに昨今「鬼滅の刃」等がブームとなり、アニメは市民権を得てきた感じはある。だがそういった有名な作品以外はおそらく知名度が低く、タイトルを聞いても相手はピンと来ないだろう。というかそもそも自分は「鬼滅の刃」も「エヴァンゲリオン」も「進撃の巨人」も観ていない。じゃあ今何を観ているかとなると、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」や「AIR」となる。この辺はアニメを観ない人には間違いなく知られていないし、内容を聞かれても答えづらい。じゃあ好きなアニメはとなると、「あの花」や「まどマギ」となる。この辺ならもう少し有名だとは思うが、相手がピンと来るかは怪しい。相手がピンと来ていないと、会話が流れていかない。というかそもそもある程度年齢が高い人だと、アニメ好きをよく思ってないのではないかと疑ってしまう。そんな相手にアニメの話題を振ってしまったら、確実に悪いほうへ評価が変わる。別にそう思われても構わないのだが、そのせいで仕事に影響が出ることを恐れている。そう考えていくとアニメのことは雑談では出せない。

 ではマンガならどうか。マンガは読む人も多いと思うのでまだマシだとは思うが、それでも難しい。マンガで有名なのはやはり「少年ジャンプ」だと思うのだが、自分はジャンプ作品はほとんど読んだことがないので、「ワンピース」や「ドラゴンボール」といった作品すらわからない。というか最近は百合漫画や少女漫画をよく読んでいるけれども、この辺りはとてもじゃないが職場では出せない。というのも百合漫画はそもそも一般に受け入れられづらいジャンルだと思うし、少女漫画も男が読んでいると思われたら、よい捉えられ方をされるとは思えないからだ。自分は相手にそういうのを好きと表明されても気にしないが、職場である以上変な印象は持たれたくない。またそもそもの大前提として、相手も同じ作品を知らないと会話が流れない。というわけでマンガも雑談では出せない。

 そういうわけで自分は将棋を使ってカモフラージュしている。将棋といっておけば知的なイメージが一般にあるので、悪いイメージは持たれにくい。また現在は藤井聡太二冠が注目を集めているので、その名前を出しておけば相手もピンときやすい。というかむしろ藤井聡太二冠の名前を出しておけば相手もほぼ確実に知っているし、会話に困ることはない。例えば「どうすごいと思うか」と聞かれたら、「読みの量」とか「若いのに謙虚で達観しているところ」と答えればよい。また自分と比べて強さはどうかと聞かれたら「敵にならない。1億回やっても勝てない」と答えればよい。そうするとなんだかんだで会話は流れる。しばらくすると会話の体裁が整い、会話が終わる。こうして無事に雑談が終わることに安堵している。また別の部署で時々藤井聡太二冠のことを尋ねてくる人が出てきた。藤井聡太二冠の将棋は中継等で追っているので、自分が知っていることを話すと、相手も新しく将棋や藤井聡太二冠の知識を得られるようで、よい流れで雑談できる。別の部署のため頻繁にやり取りがあるわけではないのだが、それでも時々の雑談にも困らない。このように自分は思わぬところで将棋、特に藤井聡太二冠には助けられている。まさに藤井聡太二冠様様である。

 

 というわけで自分は将棋が好きなので、当然藤井聡太二冠の将棋にはいつもワクワクさせられているし、棋譜を並べたときなども感嘆を禁じ得ないのだが、思わぬところでも藤井聡太二冠の恩恵を受けている。ここまで書いてきたことはとても些細なことではあるけれど、それも含めていろいろな場面で藤井聡太二冠の活躍をリアルタイムで観れる喜びを感じている。

「やがて君になる」感想~「好き」をめぐる物語~

 ここ1、2年の間に触れた作品の中でも、とくに「やがて君になる」は傑作であった。久しぶりに原作を周回したし、アニメのブルーレイも買って特典としてついていたコメンタリーや絵コンテにもじっくり向き合った。ブルーレイを観た後、原作を一週間ほどで一気に読み返し、熱が残っているうちにすぐにでも感想をまとめようと思った。だが自分にとって大好きな作品であるからこそ言葉にするのが難しく、そうこうするうちにそれなりの時間が経過してしまった。それでも感想をまとめたい思いはくすぶり続けており、今回不完全でも思い切って書いてみることにした。どこに向かって着地するかはあまり見当がついていないが、思いをぶつけてみたい。

※以下ネタバレを含みます。

 

 

 まず「やがて君になる」を一言でまとめると、「好き」がわからない主人公・小糸侑が自分を好きな先輩・七海燈子と出会い、関係を深めていくうちに「好き」を知っていく話である。端的に言えば「好き」をめぐる物語といえる。とはいえ「好き」といっても、その内容は場面等によっても変動していく。その変動とともに、自分の感情も大きく揺らいでいった。そのため以下では「好き」をキーワードに自分の感情が揺さぶられた場面をピックアップし、その揺れを言葉にしていきたい。そしてそのあと作品全体のことを述べていきたい。(以下巻数・話数・発行年・ページは仲谷鳰著、KADOKAWA刊の「やがて君になる」より参照しています)

 

第10話言葉は閉じ込めて、第十話言葉で閉じ込めて 2巻(2016年)

  ここまでの話で侑は自分を好きになった燈子と関係を深めていき、特別な気持ちを抱き始める。だがこの話で物語は一つの転換を迎える。

 侑は燈子と接しているうちに、燈子が無理をしているのではと心配する。その中で燈子の姉の存在、そして燈子が姉みたいになろうとしていることを知る。その後侑は燈子と河原で向き合い、無理して姉みたいにならなくてもいいと告げる。その言葉を燈子は「死んでも言われたくない」(p.156)と拒絶する。そして自分が誰も好きにならないからこそ先輩は好きになったということを思い知り、「先輩のこと好きにならないよ」(p.162)と返す。

 この場面ではすごく切ない気持ちになった。まず燈子がなぜ侑を拒絶したかはこの後に描かれており、「好き」を束縛する、暴力的な言葉として捉えているためである。(p.169-170)「好き」という言葉にそんな意味が込められているとは考えたこともなかったが、この意味を否定することはできなかった。果たして好きな相手の性格や思想が変わってしまったとしても、その相手を好きでい続けられるのか。これに素直に「はい」と答えられる人はどれほどいるのだろうか。自分はとてもじゃないが、言い切れる自信はない。

 しかしこの意味で捉えてしまうと、他人からの「好き」を受け取れなくなってしまう。「好き」という言葉がネガティブなものとなってしまうからだ。だがそうすると自分のことを好きになったり、肯定したりすることは難しくなってしまう。燈子はまさにこの状態に陥っており、だからこそ侑は好きにならないことで特別であろうとした。

 だがここですれ違いが発生する。好きになりたい相手が「好き」を受け入れられないから、好きにならないと嘘をつく。特別であるためには嘘をつかないといけない。これはあまりにも切なすぎる。

 思いがまっすぐでは届かず、嘘を交えないといけなかった侑の気持ちに感情移入し、また「好き」という言葉の暴力性や自分を好きになれないといった部分で燈子の気持ちにも感情移入し、二つの気持ちに引き裂かれ、切なさばかりが募っていった。

 

第34話零れる 6巻

 第10話でのやりとりのあと、侑は燈子の望みである生徒会劇に協力する。ただその練習の中で燈子は自分の知らない姉の一面を知り、自分の思いに迷いが生じる。そんな燈子の姿を見て、侑は燈子を変えたいと願い、生徒会劇の脚本を変更する。新たな結末に最初は抵抗していた燈子も最後は受け入れ、生徒会劇は成功に終わる。第34話は劇の後の話である。

 燈子は姉の代わりではない、自分として生きたいと願い、行動に移す。そんな燈子を見て、侑は今なら自分の思いが伝わるのではないかと考える。そして二人は再び河原で向かい合い、侑の思いが零れ、燈子にキスをし、好きだと伝える。だが燈子の反応は予想と違い、「ごめん」という拒絶だった。侑はショックを受け、走って河原を立ち去る。

 この場面でも、すれ違いが生じている。燈子が「ごめん」と言ったのは、侑に嘘をつくことを強いてきたことを自覚したからであり、侑を拒絶したわけではない。だが侑が走り去ったあと、燈子は追いかけることができない。「好き」が怖くなってしまったのだ。(p.170)

 この場面でも切ない気持ちになった。一つのターニングポイントとなった第10話のあと、侑の行動により燈子の気持ちは変化する。それと同時に侑の気持ちも変化が生じていて、橙子に「好き」と伝えようと決意する。ここまでならお互いに気持ちが通じ合うはずである。

 だが実際にはすれ違い、かつ過去の記憶が燈子をかすめ、このすれ違いを解消できなかった。「好き」という気持ちを持った侑に対し、燈子は自分の変化を受け入れてくれるのかと不安になってしまう。こうして二人の気持ちのすれ違いが維持されてしまった。

 思いが通じ合っているはずなのに、過去のことや些細なきっかけが原因ですれ違いを解消できず、そんな展開にここでも切ない気持ちになった。

第40話私の好きな人 8巻

 第34話ですれ違った二人だが、紆余曲折を経て再び向かい合い、お互いの「好き」という想いを伝え合う。

 燈子は変わってしまったけども、侑が好きだと告げる。「頭が侑でいっぱいで 幸せだけど時々泣きそうで ぐちゃぐちゃになるけど 絶対なくしたくない」(p.20)と思っている。これに対し侑は、「好き」を「自分で選んで手を伸ばすもの」(p.25)と言い、「先輩がわたしの特別だって決めました」(p.27)と言う。こうしてお互いの気持ちを確かめあう。

 この場面では気持ちが通じ合ったことに対する喜びと同時に「好き」という気持ちについて一番考えさせられた。「好き」に関しては全体を通じて述べたいと思うので後述する。

 

全体を通じて

 ここまで作品のうち心が動いた場面を振り返ってきた。以下ではキーワードとなっている「好き」について考えてみたい。

 「好き」という感情にこれまで疑問を持ったことはなかった。恋に「落ちる」といった表現が示唆するように、理屈など関係なく、ある瞬間に突如降ってくるものだという思いが強かった。これは燈子の「好き」に近い。

 だが少し考えてみると、「好き」はそう単純でもないことに気づく。「好き」と特別には強い結びつきがある。きっかけは何であれ、ある人に興味を持ち、一緒の時間を過ごしていくうちに相手のことを特別だと思い、「好き」になる。こういったことも多い。確かに「好き」に変わる瞬間というものはあるが、それ以上にそれまでの選択が導く必然という要素も強い。これは侑の「好き」に近い。このようにそう単純に「好き」というのをまとめることはできない。

 そう考えていくうちに「好き」の強烈なパワーに気づかされる。「好き」が選択のその先に現れるものだとするなら、そこに至るまでには複数のプロセスを経ているわけで、その人の人生の積み重ねが「好き」に反映されていくこととなる。そう考えると「好き」はとてつもなく尊いものに思えてくる。「好き」は人間にとってとても大事なものであるという、当たり前だが重要なことに思いが巡っていった。

 

 以上のように「好き」に関する根源的な問いかけが「やがて君になる」の大きな魅力となっていると考える。その揺らぎの中で、自分の感情も大きく揺さぶられていった。そして以前別の記事で言及したように、「好き」が恋愛に当然には帰結しない百合だからこそ実現できたものであり、百合の魅力も改めて感じた作品であった。

観る将と指す将のバランス

 元日にそれなりに書くといって更新していなかったブログを久々に動かそうと思います。

 

 最近将棋に対する自分のスタンスをよく考える。自分は将棋を観るのも大好きだし、プレーヤーとして指すのも好きだ。今よく聞く言葉でいえば、観る将でもあり指す将でもあり、この2つは自分の中では自然と両立されている。だからこそ最近この2つの相関関係を言葉にしてみたいと思うようになり、ふとした時に考えていた。今回はそのあたりのことを書いていきたい。

 

 まず指す将のほうから。将棋は小5の時に始め、中学から高2までは週に1回道場に通っていた。大学では将棋部に入ったし、社会人になってからも24やウォーズを中心にたまに指している。大会には数多くはないが、何度も出場している。もちろんそれなりに勝ってはいるのだが、負けた記憶のほうが印象が強い。負けたときはとてつもなく悔しくなる。それでも将棋を指す理由としては、やはり考えることの楽しさと勝利した時の格別ともいえる喜びがあげられる。将棋には運の要素はない。もちろん先手と後手のどちらになるかは運次第であるが、勝利するかどうかはアマチュアだと特に実力によるものと考えている。自分自身強い人には手番など関係なく、全く歯が立たなかった。とにかく将棋には運は介在せず、自力で考えて手を組み立てていかなければならない。この考えるプロセスはとても楽しい。思考としては理論的に読んでいることもあれば、感覚的に判断していることもある。この手を読むときの感覚というのはなかなか味わえるものではなく、そこが将棋の醍醐味の一つといえる。そして勝利した時は相手のミスもあれど、手の積み重ねが結実したともいえるので、この時の喜びも何物にも代えがたい。こういったところが将棋を指す魅力であると考えている。

 次に観る将のほうである。棋譜を並べたり、NHK杯を観たりは将棋を始めたころからちょくちょくやっていたのだが、本格的に将棋を観るようになったのは、藤井聡太王位・棋聖が出てきたころからである。ちょうどその頃にAbemaTVが開局して、将棋の映像中継を観るようになり、本格的に観る将になっていった。今では動画中継はできる限り観ているし、中継アプリもチェックしているし、NHK杯銀河戦も観ている。棋譜並べも学生時代より量は減ったものの、相変わらず続けている。そうした将棋を観る魅力はというと、指し手への感動だったり、棋士人間性の魅力といったものがあげられる。棋譜並べをしているとよく感じるのだが、プロの将棋は本当にすごい。自分では思いもつかないような手がたくさん出てきて、解説を読んで発想に衝撃を受けることが多い。感動するのは形勢に差をつける妙手の場合もあれば、ぎりぎりで均衡を保つ一手だったりする。そういった手を観ていると本当に感動して、心が揺さぶられる。また棋士の先生方は魅力的な人がとても多いと感じる。それは指し手に現れていることもあるし、盤外でのこだわりや解説や文章での言葉遣いに現れていることもある。またはインタビュー等で人となりを知ったときに感じることもある。そういったところから出てくる個性に非常に惹かれるし、観る将の楽しみであるといえる。こういったところが将棋を観る魅力であると考える。

 そして指す将と観る将は独立したものでなく、相互に関連している。自分に関して言うと、例えば四間飛車を指し始めたときにちょうど出会った藤井猛九段の棋譜に感動し、さらに四間飛車をのめりこんで指すようになったし、矢倉を指そうと思ったのはプロの将棋に矢倉がとても多いからだった。また今三間飛車四間飛車の新しい形(ミレニアムや耀龍四間飛車)を指したいと考えているが、この辺は前者は佐藤和俊七段や山本博志四段、後者は都成竜馬六段や大橋貴洸六段の活躍を見てのものであると言える。こういった指す戦型の選択に観る将の要素は多大なる影響を与えている。また四間飛車が好きなことから四間飛車に注目して棋譜を並べたり中継をチェックするようになり、四間飛車をよく指す棋士を応援するようになった。以上は一例ではあるものの、2つの関連として戦型の面を1つ示した。

 ただこの関連に関しては些細ながら悩みもあり、それはプロのようには自分は指せないということである。プロの将棋を観たり並べたりして感動し、こんな風に指したいとはよく思うものだが、現実は自分がそんなに強くないため、打ちひしがれることがある。特に藤井システムを指して目も当てられないような負け方をした場合、普段の敗戦以上に辛くなる。もちろんアマチュアなのだからと割り切ることはできるものの、やはりそのギャップには何とも言えない気持ちになる。それでも自分にとって将棋はとても魅力的なゲームであるため、最終的には楽しむことのなるのだけれど。

 そう考えていくと、自分が棋譜並べが特に好きである理由が何となくわかってきた。棋譜並べはプロの将棋を観戦するという意味で観る将の要素があると思うのだが、実際に盤駒を用いて再現すると特に、指している感覚を疑似体験できる。こうすれば自分がプロであるような感覚を味わうことができるし、プロの妙技に感動することができる。この棋譜並べのようにプロのプレーを疑似体験するのはほかのスポーツでは困難なことだ。例えばサッカーでクリスティアーノ・ロナウドのプレーを追体験するのは難しいだろう。どれかのゴールを追体験しようにも、映像を観ることはできるものの、ゴールを放つ感覚を体で味わうことは難しい。その点将棋では再現は簡単であるし、しかも駒を動かして、体にその手の感覚を味わわせることができる。こういったことを考えると、棋譜並べは指す将と観る将の両方の要素を満たす行為であり、だからこそ大好きなのだと考えられる。

 

 とりあえず今回はここまでにしたい。指す将でもあり観る将でもある自分が将棋をどんな風に考えているかが少しでも伝われば幸いである。この自分の将棋に対するスタンスの探求はまだ始まったばかりであり、今後もまた何かの機会に書ければと思っている。

 

 

今年の目標2021

 あけましておめでとうございます。今年も1年の初めに目標を立てることからはじめていきたいと思います。

 

 まず昨年立てた目標の振り返りからすると、ほとんど達成できませんでした。アニメをたくさん見ることはできたのですが、ほかの目標は全く達成できませんでした。コロナ禍という特殊事情があったという言い訳はありますが、それでも怠慢だったと思います。ですので今年はもう少し達成度や分量を言語化、数値化することで少しでも達成できるような目標を立てていきたいと思います。

 

 では本題の今年の目標ですが、主に3つあります。まずは積ん読の消化です。最近本をたくさん買ってしまうのですが、あまり読めておらず積ん読がかなり増えてしまいました。別に積ん読を悪いと考えているわけではないのですが、現状本棚がいっぱいになってしまっています。そこで整理をしようと考えているのですが、読んでいない本が多すぎるため、いるかいらないかの区別がつかず、整理できないという状況になっております。本棚を買い足すという手段もあるのですが、それよりも積ん読の消化をして保有する本を見極めるほうが経済的だと思うので、今年は本を例年よりたくさん読むことで積ん読の消化と本棚の整理ができればと思っています。どれくらい読むかは決めていないのですが、本棚が整理できれば成功としたいと思います。

 次は運動することです。いままで運動は苦手で敬遠していたのですが、最近体力が落ちていることを実感しています。特に最近階段の上り下りで息が切れるようになってきており、このままではまずいという気持ちが出てきております。ただ過去にジョギングをやってみたこともあるのですが継続せず、ほかに筋トレもやってみたのですが続いたためしがなく、とかく運動に関してはネガティブな印象が強くなっています。ですがこのままではいけないと思い、最近「リングフィットアドベンチャー」を買いました。これは苦手な運動でも好きなゲーム感覚なら楽しく続くと思ったためです。少しやってみたのですが、家から出るという難題を乗り越える必要がなく、またゲームなので楽しく続くのではないかというささやかな希望を持つことができました。なので今年は当面2、3日に1回のペースで「リングフィットアドベンチャー」をやり、運動に慣れてきたらほかのものを取り入れて体力を増強できればと思っています。

 最後はブログで好きなものを書くことです。今までも好きなものを書いているのですが、なかなかうまく書けないと思うことが多くなってきました。特に好きな作品一つについて徹底的に書こうとしても、うまく言葉が繋げずに結局書けなかったということが去年ありました。他の話題で書いてもいいのですが、ブログを始めた動機の一つが好きという感覚の言語化だったため、逃げずに立ち向かいたいと思っています。そこで今年は拙くてもいいので出会った好きな作品を月に1、2回のペースでブログにして、自分の好きという気持ちをもっとうまく言葉で拾い上げることができるように実践を積み重ねていきたいと思います。そして今年の終わりには振り返りをもっとうまくできたらいいなと思っています。以上が今年の目標です。

 

 結びとして少し補足しますが、将棋の目標は去年と同じくできるだけ毎日将棋に触れることと定跡書を読むことなので、これは積ん読の消化に含めます。というのも定跡書や詰将棋本、実戦集なども大量に積んであるためです。これらを読めば自然と将棋に触れられるという理屈です。またアニメは今年もたくさん観たいと思っています。ただ去年外出自粛の流れの中で、一通り観たい作品を観れたところもあり、今年はそこまで厳格にせずとも良いと思うので、目標としては上げないことにします。

 どれほど目標が達成できるかは分かりませんが、今年は去年より少しでも多く達成出来たらなと思います。上記目標を心にとめて、とはいえ無理しすぎないよう日々を過ごしていけたら、と表明してこの記事を終えたいと思います。みなさんにとっても2021年がいい年でありますように。

今年の振り返り補完(アニメと将棋)

 もう少しで2020年が終わるところで、ぎりぎりですが今年の視聴アニメと将棋観戦について振り返ろうと思います。去年と同じく3か月単位で書いていきます。(アニメに関してはネタバレを含みます。)

 

 まず1月~3月。この頃はまだ今のような深刻な状況にはなっておらず、平和に過ごしていました。そんなころに観て印象に残ったのは、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」と「らき☆すた」です。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」はとにかくとても感動しました。設定自体が素晴らしいのですが、一人の少女が愛を知っていくまでの一話一話にとても心を奪われていました。特に病気の母親の話は涙が止まらなくなってしまうくらい惹きこまれて、年始から素晴らしい作品に出会えた余韻に浸っておりました。また「らき☆すた」はキャラたちの掛け合いがとても面白く、平和に楽しんでおりました。

 将棋に関してはNHK杯に特に注目していました。応援している斎藤慎太郎八段が豊島将之竜王・名人、永瀬拓矢二冠を破ってベスト4に進出し、優勝してほしいとTVの前で応援しておりました。準決勝で残念ながら稲葉陽八段に敗れたものの、熱戦も多くとても楽しく観戦しておりました。

 

 次に4月~6月です。4月に緊急事態宣言が出され、世の中が大きく変化し、不安を感じていた時でした。そんなころ印象に残ったのは、「涼宮ハルヒの憂鬱」と「Angel Beats!」でした。「涼宮ハルヒの憂鬱」はすごく見たいとずっと思っていたのですが、やはり期待に違わぬ名作でした。ハルヒキョンの関係、「God knows…」の素晴らしさ等々魅力を上げだすときりがないのですが、自分にはとてもヒットした作品でした。また「Angel Beats!」は前半のギャグ展開からは想像できないくらいの後半の展開に心を奪われ、ユイの回や最終回の最後の場面等感動も多く、とても印象的な作品でした。

 将棋に関しては4~5月は公式戦がなかったものの「第3回AbemaTVトーナメント」が熱戦も多く、楽しめました。また6月は藤井聡太七段の快進撃が始まり、観戦に夢中になっておりました。特に棋聖戦の挑戦者決定戦の永瀬拓矢二冠戦と、渡辺明棋聖との五番勝負の第1局は均衡の取れた展開で、印象に残っています。

 

 次に7月~9月です。少しずつ日常が戻ってきていることに安堵しておりました。その頃観ていたのが「AIR」と「はたらく細胞」でした。「AIR」は絵柄の好みは分かれるところだとは思いますが、やはり感動しましたし、Key作品の素晴らしさを感じました。また「はたらく細胞」は擬人化ものとしてとても楽しく、細胞のことを学びながら視聴できました。

 将棋では延期されたものも含めてタイトル戦がたくさんあり、観戦が充実していました。藤井聡太二冠のタイトル奪取、渡辺明名人の名人初戴冠、番勝負最長手数を更新した叡王戦七番勝負など、とにかく熱戦が多く、日々楽しく観戦しておりました。

 

 最後に10月~12月です。再び感染が拡大し、また少しずつ不安が増していっている頃です。この頃では「とらドラ!」、「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」、「やがて君になる」、「色づく世界の明日から」が印象に残っています。まず「とらドラ!」はラブコメ好きとしてはとても面白く、楽しく視聴していました。「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」はとにかく雰囲気がすごく好きになり、大好きな作品となりました。「やがて君になる」は原作を読んで展開は知っていたのですが、アニメで観るとそれはそれで魅力的でした。特に侑の「燈子先輩」呼びはたまらなかったです。「色づく世界の明日から」は再視聴だったのですが、展開がすごく好きで、長崎に行きたい気持ちが強くなりました。

 将棋は竜王戦七番勝負と銀河戦が印象に残っています。竜王戦羽生善治九段のタイトル100期がかかっており、敗れはしたものの熱戦が多く楽しめました。銀河戦は何と言っても藤井二冠の活躍が印象に残ります。特に2回戦の永瀬二冠戦は横歩取りから目まぐるしく形勢が入れ替わる展開となり、ハラハラドキドキで手に汗握る展開が楽しめました。

 

 やはり今年もうまく書けた気はしないのですが、これでまとめとしたいと思います。来年はまた目標を立てることから記事を上げていきたいと考えています。

今年の振り返り

 2020年もあとわずかということで、今年も1年の振り返りをしてみようと思います。

 

 今年に関しては、まず何より新型コロナウイルスに触れないわけにはいきません。緊急事態宣言が出され、ソーシャルディスタンスや密を避けるといったことが提唱され、人との接触が難しくなった年でした。ニュースでも毎日のようにコロナの話題が報じられ、なかなか収束する気配も見えず、不安も生じる日々でした。そんな状況の中、影響があったのは楽しみにしていたライブが中止になったくらいで、収入や生活に特に影響なく過ごせたのは本当に幸運なことだったと思います。当面は変わりなく暮らせている現状に感謝しつつ、また友人と直接会える日を楽しみにしながら、感染防止に努めつつ日々を送っていきたいと考えています。

 そんな状況になってしまったので、今思うと2月の京都旅行や3月の友人との映画鑑賞は本当に貴重な時間となりました。京都では宇治に行って「響け!ユーフォニアム」の聖地巡りをし、夜は最果タヒさんとコラボしたHOTEL SHE, KYOTOの「詩に泊まるホテル」に泊まりました。聖地巡礼は「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の秩父に行った以来でしたが、やっぱり好きなアニメの世界のもととなった場所に行くと、その場面が想起されたりしてとても楽しかったですね。またホテルについては一度ブログに書いたのでそこまで多く触れませんが、やはり好きな言葉に身を浸すというなかなかできない経験で、とても幸せな時間でした。さらに3月は劇場版の「SHIROBAKO」を観たのですが、映画館で観るのは大きな映像だったり、迫力のある音響だったり、家では味わえない環境で作品を浴びれるので、映画は映画館で観るほうが良いという感覚をさらに強くしました。内容も面白く、こちらもやはり幸せな時間でした。

 結局3月のその時以来休日に外に出ておりません。別に外出してもよいとは思うのですが、一緒に暮らしている家族に感染させてしまうリスクを考えると躊躇するものがあります。そんな日々を過ごしていると、いろいろなイベントがあってそれに参加したり、何はなくともふらりと外出して、たとえば東京の大きい本屋で本を眺めていたりした時間などはとても幸せだったのだなと改めて感じます。当たり前だと思っていたものが当たり前ではなくなったとき、初めてその価値に気づくという、言い古されている状況にまさに直面していました。

 とはいえ今の状況がマイナスなことばかりというわけでもなく、プラスな面もありました。それは家でも十分楽しく過ごせるということに気づいたことです。今年の2月、3月時点では外出することが楽しいと思えるようになってきて、家にこもり続けているのはあまりよくないことなのかと思い始めていた時期でした。ですのでそんな中で緊急事態宣言が発令され、外出がしづらくなった時にはとても不安を覚えました。でも家で過ごす時間が長くなった分、自分のやりたいことに集中して取り組むことができました。その中でも今年の目標に掲げていたアニメ鑑賞をたくさん行えたのはこの状況下でのプラスな面でした。結局今年はおそらくアニメにハマり始めた大学4年生のころと同じくらいにたくさんの作品に出会えましたし、もう一度観たいアニメの再視聴もできました。個別の感想については別途記事を書きたいと思っていますが、だいぶ観たかった作品を視聴でき、その点はとてもよかったと思っています。

 また将棋観戦の楽しさを再発見できたのもまたよいことでした。というのも3月までは観戦が少しだれていたところ(中継アプリを数週間追えていない等)があったのですが、緊急事態宣言でタイトル戦や挑戦権争いが都合上延期となり、将棋観戦したいという思いがその頃になって募ってきました。また本屋にも行けないなど別の楽しみも減っていて、少し打ちひしがれていました。そんな時期にとても楽しみにしていたのが「第3回AbemaTVトーナメント」でした。3対3の団体戦で、フィッシャールールの超早指しの中で、棋士の先生方が見せる高度な応酬に毎週のように心を奪われておりました。そして緊急事態宣言後タイトル戦が再開され、ヒューリック杯棋聖戦王位戦での藤井聡太二冠の活躍、名人戦叡王戦でのトッププロによる素晴らしい将棋の数々にこちらも心を奪われていました。そういうのを経て、将棋観戦の楽しさに改めて気づかされました。こちらも詳しくは別途記事にしたいと思っていますが、公式戦が動き、様々な対局がアプリや映像で観戦できる今は、楽しみが多くて幸せだというのを実感している日々です。

 

 今年は今までにないような1年で、過ごし方が難しい年でしたが、上記のように楽しく過ごせていることに幸せを感じる年でした。そう思うと個人的にはそこまで悪い年でもなかったと思っています。ただニュースで医療現場の大変さや明日も見えない飲食・観光業界等の状況を見ていると胸が痛くなることも多いです。何とか1日も早くコロナ禍が収束し、日常が戻ってくることを願って、この記事を終えたいと思います。

たまには好きなキャラの話を思いっきりしてみる

 今回は作品ではなくキャラクターにスポットを当てて、書いてみようと思います。

 

 漫画やアニメが好きで、外に出づらい最近ではそれらに触れる時間がかなり増えているのですが、作品について語ったりということは過去のブログでもあったのですが、キャラクターについて語ろうとはあまり思ったことがありませんでした。というのもまず作品に触れて考えることといえば、ストーリー展開についてだとか、言葉や描写の意味だとか、どういうところが面白かったかという作品自体についての場合が多かったからです。そういうのをまとめてみたいという気持ちは前からあったのですが、それは作品ごとに語るという側面が強く、キャラクターはあくまでそこに付随してくる要素だと考えていました。というわけで、もちろんキャラクターが魅力的だから作品が面白いという側面があることは当然なのですが、キャラクターについて語ろうというのはあまり考えていませんでした。

 ですが数多くの作品に触れていると、やはり忘れられないキャラクターや好きだなと思えるキャラクターが出てきて、時々脳裏をよぎったりします。特に最近触れる時間が長いとふと思い返すことも多くなり、まとめてみたいという気持ちが出てきました。また最近デレステを始めて、推しができてみると、そのキャラクターを中心に追ったりということも出てきて、まとめたい意欲を高める一因ともなりました。

 というわけで作品語りばかりだと自分が恐れるマンネリ化につながるというのもあるので、今回は好きなキャラを3人挙げてみようと思います。(当然ですが、ネタバレを含みます)

 

1.栗原 雪(ももくり

 

 まずは「ももくり」の栗原雪から。栗原さんは「ももくり」のヒロインとして登場します。(「ももくり」の真のヒロインはももくんだと思っていますが、一応立場的には栗原さんがヒロインだと思うので、そうしておきます)

 栗原さんは最初の告白シーンからもすでに読み取れるのですが、ストーカー気質なところがあります。隠し撮りしたり、使用済みストローを回収したり、その他ももくんの触ったものを家に保管していたりと挙げだすときりがありません。ある意味変態といえるでしょう。しかし栗原さんがももくんを好きな気持ちは純粋で、態度からも「好き」の気持ちがたくさん伝わってくるので、この変態と言える行動も可愛いんですね。というか好きな人ができたらその人のことは何でも知りたいと思うし、使うものとかを共有したいと思う気持ちはごく自然なもののはずです。栗原さんはその気持ちが暴走していますが、可愛いので問題ありません。「かわいい」は正義なのです。

 というわけで栗原さんは暴走すれどもそれも可愛い、私の好きなキャラの一人です。

 

2.吉川 由紀(ホリミヤ、堀さんと宮村くん)

 

 次は「ホリミヤ」に登場する吉川由紀です。(今回は「ホリミヤ」をもとに話を進めます)吉川さんはヒロインの堀さんの親友として登場します。

 吉川さんの魅力はまずもって明るいところでしょう。元気で快活でその場の雰囲気を明るくします。友達思いで悩み相談にのったり、友達のために泣いたりします。そういった元気なキャラは好きなので、そこが惹かれる部分です。

 ただより重要なのは吉川さんの別の側面です。吉川さんは好きなものや欲しいものを素直に言うことができないという繊細な側面があります。作品内でもそのせいで石川君を河野さんに取られてしまうのではないかと思い詰める場面があります。この元気や明るさとは反するような側面こそ、吉川さんをより魅力的にしています。

 ここからは自分の話ですが、この好きなものや欲しいものを素直に言えないというのは個人的にとても共感するところがあります。というのも自分自身も特に人に対して好意を伝えたりするのが苦手な部分があると思っているからです。この感覚をうまく言葉にするのは難しいのですが、拒絶されるのが怖いとか、言葉に出して自分の気持ちを確立してしまうことを恐れるとか、そういった要素が複合的に混ざり合って、最終的に言わないという選択に向かうというのがあります。本当はしっかり言葉にしたいと思うのですが、なかなか難しく、そういった自分の性格からも吉川さんに惹かれているのかなと思います。

 というわけで吉川さんは共感という形で好きなキャラになっています。

 

3.長門有希涼宮ハルヒの憂鬱

 

 最後に取り上げるのは、「涼宮ハルヒの憂鬱」に登場する長門有希です。長門有希涼宮ハルヒが立ち上げたSOS団のメンバーとして登場します。

 長門有希は簡単に言うと宇宙人で、感情がありません。なので表情も動かないのですが、宇宙人であるがゆえに能力はチート級となっていて、大事な場面で何度もキョンを助けてくれます。いうなればクールというか冷めている側面があるのですが、そういうのは魅力的だと思います。

 ただ時々感情のようなものがこぼれる場面があり、そういったところにいわばギャップ萌えというものを感じます。やっぱりギャップというのは素晴らしいですね。

 長門有希に関して言うと「涼宮ハルヒの消失」を観たときに一気に好きになりました。またキャラソン「雪、無音、窓辺にて」もすごくいい曲で、キャラソンの中でもかなり好きな曲になっています。

 

 挙げてみると偶然かは知りませんが、全員名前が「ユキ」ですね。もしかしたら「ユキ」という名前のキャラが好きなのかもしれません。「ユキ」という名前だと必ずと言っていいほど雪と絡めた描写や言動があるので、それが好きというのもあるとは思います。もちろん名前が「ユキ」じゃない好きなキャラもいますよ。

 キャラについて初めて書いてみましたが、少し不十分な気もします。もっとうまく書けたのではとも思いますが、ブログの更新自体が久しぶりなので今回はこの辺で良しとして締めようと思います。「ユキ」という名前で魅力的なキャラがいたら、教えてください。